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Bible

リビングライフというデボーションノートを使っています。

語られた御言葉から受け取ったことをアップしています。毎週月曜日に更新です。

​読まれた方に少しても励ましとなりますように。

2019年3月25日(月)

ヘブル人への手紙11章32節~40節

今日は、40節「神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられた…」という箇所が目に留まりました。

もし、「信仰によって・・・」の後に僕の名前が掲載されたらその後に続く言葉はどのようになっているだろうと考えさせられました。聖書の御言葉に従う時、信仰が試されます。信仰は神様が約束してくださったことは必ず成就するという確信を持って生きることです!神様は、私たちの考えを遥かに超えることを用意してくださっているのだから、今日過ごす一瞬一瞬を神様に明け渡して、神様が用意してくださっているものに期待していきたいです!

2019年3月18日(月)

ヘブル人への手紙9章23節~28節

今日は、24節「キリストは、本物の模型にすぎない、手で造った聖所に入られたのではなく、天そのものに入られたのです。」という箇所が目にとまりました。

中国にアウトリーチに行った時に、街の看板にりんごの隅が欠けたあの有名マークを見かけました。しかし、そのマークに何か違和感を感じたのでよく見てみると、欠けている部分が微妙に大きいことに気がつきました。そうです!Macの偽物でした。

私たちはいつも本物を見ていなければ、偽物の違和感に気がつくことができません。偽物と本物をいつも区別して、見分けることができるように本物から目を離さない日々を送っていきたいです!

2019年3月11日(月)

ヘブル人への手紙6章13節~20節

今日は、17節「そこで、神は約束の相続者たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです。」という箇所が目に留まりました。

計画が変わらないというのは、簡単な言葉のようですごいことだと気付かされます。周りの環境がどう変化しようとも、時代がどのように移り変わっても、計画が変わらないということは、神様にしかなし得ない業です。昔も今もそしてこれからもずっと変わらない神様の愛だからこそ、私たちは心から全てを委ねることができます。この世のものはいつも変化し、流動的です。変わってしまうものに心が向いていないか、自分を吟味して、変わらない神様の愛の道を歩んで行きたいです。 

2019年3月4日(月)

ヘブル人への手紙2章10節~18節

今日は、18節「主は、ご自身が試みを受けて苦しまれたので、試みられている者たちを助けることがおできになるのです。」という箇所が目に留まりました。

私達は、辛いことが自分の身に起こると、「私よりひどい人生を送っているひとは他にはいない!」と思ってしまいます。話を聞いてくれる人に対してもも、「あんたなんかに私の辛い気持ちはわかるわけないじゃない!」と苦しさを表現してしまうことも多々あります。しかし、今日の御言葉で励まされます。イエス様は私達の苦しみをすでに体験済みなので、誰よりも私達の辛さをご存知です。「もちろん知っているよ。私も体験したからね。」と共感してくださる方です。そして、すべての試みの解決策を持っている方です。イエス様は「私が道であり、真理であり、命である」と言われます。この方が私達の最高のカウンセラーであることを感謝します!

2019年2月25日(月)

テトスへの手紙1章10節~16節

今日は11節「彼らの口を封じなければなりません。」という箇所が目に留まりました。

もし、一日中ずっとボイスレコーダーを自分の口元にセットしておいて録音していたとしたら、どんな言葉を発しているだろうと考えさせられました。その言葉の中に、励ましや立て上げ、赦しの言葉よりも、相手を非難したり、傷つけたり、自己中心的な言葉が多くなっていないだろうかと思いました。言葉には力があります。毎日でる言葉の中で、神様がよしとしない言葉を封じることができるよう祈る必要を感じました。自分の口から出る言葉が、隣人を愛する言葉で溢れるようなものとなっていきたいです。

2019年2月18日(月)

マルコの福音書15章1節~15節

今日は、10節「ピラトは、祭司長たちが、妬みからイエスを引き渡したことに、気がついていたからである。」という箇所が目に留まりました。

私たちは、正しいことを知っておきながら、間違ったことを容認したり、見て見ぬ振りをしてしまう弱い存在です。旧約聖書に出てくる、偉大な王であったり預言者であったとしても、その弱さゆえに正しいことをわかっていながら、罪の方を選択してしまいました。しかし、罪を犯してしまった後の行動は2パターンです。悔い改めるか、罪をそのままにしておくかです。罪を持ち続けることは神様の御心ではありません。悔い改めを通して、神様の深い愛をさらに受け取っていきたいです。

2019年2月11日(月)

マルコの福音書14章1節~11節

今日は、8節「この女は、自分にできることをしたのです。」という箇所が目に留まりました。

高価なナルド油を捧げた女の箇所を読むと、いつも自分は全てを捧げているだろうかと考え、できていない自分を責めてしまいます。しかし、今日、イエス様は捧げたものが高い値段のものだから「りっぱなことをしれくれた」と言われたのではなく、「自分のできることをした」ことを評価されたことに気がつきました。

神様に無条件で愛され、守られている恵みを感謝し、その感謝の気持ちをもって自分ができるもので、神様に仕え、捧げていこうと思いました。

2019年2月4日(月)

マルコの福音書12章1節~12節

今日は、7節「あれはあと取りだ。さあ、あれを殺そうではないか。そうすれば、財産はこちらのものだ。」という箇所が目に留まりました。

この箇所を読んで、「いやー自分は、人を殺してまで、主人の財産を欲しいとは思わないだろう。」と思いました。しかし、ふと冷静に考えてみると、今、自分に与えられている財産や賜物、仕事などは全て、神様から与えられたものであり、それを用いて家族や隣人を助け、仕えるためのものなのに、それを自分だけで独占したり、自分の手柄として誇っていないだろうかと思わされました。

与えられている賜物を感謝しつつ、それを主のために用いることができるようになりたいと思いました。

2019年1月28日(月)

マルコの福音書10章1節~16節

今日は14節「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。」という箇所に目が留まりました。

大槌町にいた頃、ある人を教会に誘った時に、このように言われました。「わたしは教会にいけるような心の綺麗な人じゃないから、教会にはいけない。」と。

私たちは、時々、神様の前に出るには、なにかができていたり、何かを持っていたりと条件が満たされなければならないと考えてしまうことがあります。しかし、イエス様のところに行くのに条件はありません。理由は、神様がありのままの私たちを愛してくださっているからです!いつも子どものように、神様に絶対の信頼を置いて、頼り切ることができる心でいられるようになりたいと思いました。

2019年1月21日(月)

マルコの福音書8章1節~13節

今日は、5節「すると、イエスは尋ねられた。『パンはどれくらいありますか。』」という箇所が目に留まりました。

神様は、私たちにできないことをやりなさいという方ではありません。私たちは困難に立つと、気持ちが消極的になり、できることもできないと錯覚してしまうことがあります。その時に神様は私たちに「今、あなたが持っているものはなんですか?」と聞かれます。神様は私たちが持っているものを用いて、奇跡を起こされます。困難な時こそ、「自分が持っているのもはこれです!主よ、用いて下さい!」と祈るものとなっていきたいです。

2019年1月14日(月)

マルコの福音書6章1節~13節

今日は、3節「この人は大工ではありませんか。」という箇所に目が留まりました。

私たちは、相手のことを見るとき、仕事や学校、収入や持っている車や家などで、その人がどのような人かを判断してしまいます。逆に私たち自身も、置かれている環境や持っているもの、資格なので、自分の価値を判断してしまうのもです。

しかし、神様の目から見たら、私たちはみな尊い存在であり、この世の持ち物や権力で価値が決まるものではありません。

私たちは神様に愛されている最高の作品であり、また同時に、隣人も神様に愛されている尊い存在であることを忘れてはいけないと思いました。

2019年1月7日(月)

マルコの福音書3章7節~19節

今日は、16節「イエスは十二弟子を任命された。」という箇所が目に留まりました。

イエス様の弟子たちは皆、失敗ばかりする人たちで決して特別な人たちではありませんでした。私たちと一緒です。嵐にあえば「溺れてしまう〜!」と恐れ、誰が1番偉いかで喧嘩になり、イエス様が捕まった時には一目散に逃げてしまうような人たちです。でも、そんな弟子たちをイエス様は忍耐を持って訓練し権威を与えてくださいました。

私たちも弱さがあり、いつも恐れ、自分中心の考えを捨てきれない存在です。しかし、全てを知った上で私たちを救い、弟子として訓練してくださっています。神様の愛に感謝しつつ、小さいことに忠実な弟子となっていきたいです。

2018年12月31日(月)

第2歴代誌36章11節~23節

今日は、22節「主はペルシャの王クロスの霊を奮い立たせたので、」という箇所に目が留まりました。

私たちが何か新しいことに挑戦する時には、心を奮い立たせなければなりません。未体験のことをするのですから、緊張もしますし、失敗への恐怖もあります。今年1年どんなことにチャレンジできたかなぁと思い巡らしました。

毎日の生活に追われる中にあっても、神様の恵みによって新しいチャレンジへと導かれていることを忘れてはいけないと思いまいした。

新しい年を迎えるにあたって神様に1年の感謝を捧げていきたいと思います。

2018年12月24日(月)

ルカの福音書2章1節~14節

メリークリスマス!イエス様の誕生をお祝いします!

今日は、10節の「すばらしい喜びを知らせに来たのです」という箇所が目にとまりました。

最近では、楽しいことがあったり、うれしいこうとがあると、SNSにアップしてたくさんの人に知ってもらいたいと思います。それは自分自身が嬉しかったというとこを伝えることです。しかし、10節の「素晴らしい喜び」は自分自身だけではなく、伝えたい相手にとっても素晴らしい喜びとなるものです。昨日はクリスマスパーティでイエス様の誕生の意味と喜びを伝えることができました。この福音が来てくださった方々の心に届き、救いにつながるように祈っていきたいと思います。

2018年12月17日(月)

第2歴代誌31章9節~21節

今日は、15節「彼らの兄弟たちに、各組にしたがい、上の者にも下の者にも分配した。」という箇所が目にとまりました。

 

もうすぐクリスマスということで、親は子供達にプレゼントを用意しています。子供達みんなに公平になるようにと思いつつプレゼントを探し渡しますが、受け取った子供は他の子のプレゼントが気になることが多いです。

私たちは神様からたくさんの恵み(プレゼント)をもらっています。そして、その恵みは公平です。私たちの目線で見れば、恵みに差があると思うかもしれませんが、神様は一人一人に必要な恵みを公平に与えてくださっています。他人のプレゼントを羨む心が出てきた時には、今日の御言葉を思い起こしていこうと思います。

2018年12月10日(月)

第2歴代誌28章16節~27節

今日は、「アラムの王たちの神々は彼らを助けている。この神々に私もいけにえをささげよう。そうすれば私を助けてくれるだろう。」という箇所が目に留まりました。

テレビショッピングの番組で必ず出てくる場面の一つに、その商品の愛用者の感想があります。「私はこの商品を使ったら、こんなに人生が良くなりました!もう手放せません!」といった内容のコメントを通して、商品がどれだけ素晴らしいかを伝えます。しかし、画面の隅には本当に小さな文字で、「これは個人的な感想です。効果には個人差があります。」と注意書きがあります。私たちは気をつけていなければ、間違った情報に騙されてしまいます。神様以外のものに頼る人生はその時はうまくいくかもしれませんが、いずれ朽ちて無くなっていくものです。

神様の愛はいつまでも変わることがなありません!その時だけの喜びに浸るのではなく、変わらない愛に目を向けていきたいです。

2018年12月3日(月)

第2歴代誌24章15節~27節

今日は19節「主は、彼らを主に立ち返らせようと預言者たちを彼らの中に遣わし…」という箇所が目に留まりました。

 

里帰り出産のため神奈川にいた妻から「生まれそう」と報告を受けて、急いで高速道路をぶっ飛ばしていた時、スピード違反で捕まってしまいました。その時にパトカーの中で警察から言われた「こんなにスピード出して、事故でも起こしたら、到着がもっと遅くなっちゃうよ。」という言葉を思い出しました。僕は、「事故ってでもいいから、早くついて出産に立ち会いたい!」という思いだったので、警察の当然の忠告に耳を閉ざしていました。

 

自分中心になっている時、正しい忠告に耳を傾けることは難しいです。神様は私たちが背を向けていても、私たちを諦めず、立ち返らせるチャンスをくださいます。でも、耳を引っ張って「こっちを向けー!」と無理矢理することはされません。神様に立ち返るかそれとも背を向け続けるかを決断するのは私たちの責任です。自分中心の心が取り除かれるように祈っていきたいです!

2018年11月26日(月)

第二歴代誌20章14節~30節

今日は、22節「彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を設けて、…」という箇所が目に留まりました。

神様に信頼し、勝利した戦いの特徴は、軍隊の先頭に賛美チームを置くことです。どんな戦いにおいても、勝ち戦には賛美があります!

我が家はホームスクーリングを始める前に賛美をしていますが、時々、子供達が面倒な表情をみせる時があります。そんなとき、私は「ちゃんと賛美するんだよ。」と理由を言わずに強制的に賛美することだけを伝えてしまっていたことを思い起こしました。悔い改めて、なぜ最初に賛美から始めるのかを正しく伝えていきたいと思います。

賛美から始めるとき、主が私たちの代わりに戦ってくださることを感謝します!

2018年11月19日(月)

第二歴代誌17章1節~9節

今日は5節と6節「彼には富と誉れが豊かに与えられた。彼の心は主の道にいよいよ励み…」という箇所が目に留まりました。

昔、大金持ちの芸能人が不正を犯して、さらにお金を得ようとしていたニュースを聞いたことがあります。

必要なものは十分にあるのに、それでも足りないと思わせるがサタンの巧妙な策略です。

私たちは「富と誉れ」が手に入ると、ほとんどの人が高慢になっていきます。ヨシャパテは富と誉れが与えられた後、「主の道にいよいよ励み」ました。富と誉れは主から与えられる恵みです!主の道にいつも励み続けることができるように心を見張っていきたいと思いました。

2018年11月12日(月)

第二歴代誌12章1節~16節

今日は、6節「すると、イスラエルのつかさたちと王とはへりくだり、「主は正しい」と言った。」という箇所に目が留まりました。

「あなたが正しい」という言葉を伝えるためには、必ずやらなければならないことがあります。それは自分の意見や考えに死ぬことです。どのような人間関係において、お互いに良い関係を築くためには、自分の意見や考えに死ぬことは必要不可欠です。もちろん、全て言いなりになるということではないですが、相手の意見を尊重するためには、自分の意見をとりあえず、横に置くという技術が必要です。

クリスチャンであるならば、「主は正しい」というのは頭ではわかっていることです。でも、自分に死んでいなければ、わかっていても行動が伴いません。今日、自分が神様よりも上に立っている領域はないか確認し、悔い改めたいと思います。

11月5日(月)

第二歴代誌8章1節~16節

今日は1節「ソロモンが主の宮と自分の宮殿を二十年かかって建て終わったとき、」という箇所が目に留まりました。

さらっと「二十年」と書かれていますが、20年といえば、生まれた子供が成人となっている期間です。そのような長期の工事においても、16節には「ソロモンの工事は、主の宮の礎を据える日まで、また、その完成まで、すべてが整えられいた」とあります。

神様のご計画は私たちには計り知れません。今の働きが実を結んでないと思うようなことがあったとしても、長期的な計画が神様にはあることを信じます!そして、小さいことにいつも忠実であるものとなっていきたいです。

10月29日(月)

第二歴代誌3章1節~17節

今日は、「至聖所」という言葉が目に留まりました。

リビングライフの今日の御言葉の次のページ「みことばから」というところの2番目の解説の一番下に「キリストが十字架で開かれた至聖所に、あなたはどれほど頻繁に入っていますか?」という質問があります。私はどれくらいだろうと考えさせられました。日々の生活に追われて、神様との時間が形式的になっていたり、デボーションがまるで学校の宿題のようにただこなすだけになっていないか確かめようと思います。

10月22日(月)

詩篇105篇37節~45節

今日は、41節「主が岩を開かれると、水がほとばしり出た。水は砂漠を川となって流れた。」という箇所が目に留まりました。

人間は水がないと生きていけません。しかし「水」は私たちが作り出すことができません。神様からの一方的な贈り物です。もし、神様からのプレゼントに相当するお返しを考えるとすれば、自分の全財産をつぎ込んだとしても足りません。

私たちは一方的に恵みを受けています!このことを僕はよく忘れがちだということを感じました。いつも主に感謝し、喜んで従うことができるようになりたいです。どれだけ努力しても返しきれないほどの恵みを忘れてはいけないと思いました。

10月17日(月)

詩篇102篇12節~28節

今日は、27節「しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」という箇所が目に留まりました。

少し前に流行っていた「PPAP」も今は昔の話で、あれだけ盛り上がっていたのはなんだったんだろうと思ってしまいます。世の中は常に変わり続けています。でも、神様の愛はずーーーーーっと変わりません!

この土台にいつも立っていることができるならば、この詩篇102編のように最初は「苦しいです!辛いです!いつ助けてくれのですか?」となったとしても、最後には「神様の時を待ち望みます!」と希望の祈りになっていくことができます!

気まぐれで、心変わりする神ではなく、いつまでもどんな時でも変わらない神様の愛を感謝します!

10月8日(月)

詩篇96篇1節~13節

今日は、2節「主に歌え。御名をほめたたえよ。日から日へと、御救いの良い知らせを告げよ。」という箇所が目に留まりました。

先日、葉加瀬太郎という有名なバイオリニストのコンサート動画を家族で見ていました。全ての楽器の演奏者がプロフェッショナルでした。でも、その巧みな演奏技術の裏では、半端ない練習と訓練を毎日毎日続けているのだと思わされました。

何事も毎日続けることは思っている以上に大変です。しかし、継続することで大きな実を結ぶことを私たちは知っています。日々新しい賛美で神様をほめたたえていきたいと思います。そして演奏技術ももっともっと磨いていきたいと思いました。

10月1日(月)

詩篇90篇1節~17節

今日は、12節「それゆえ、私たちに自分の日を正しく数えることを教えてください。そうして私たちに知恵の心を得させてください。」という箇所が目に留まりました。

老人施設で働いているときに、あるおばあちゃんが、「若い時にもっと体を大事にしておけばよかった…」と悲しそうに話しているのを思い出しました。

私たちの人生はある意味後悔の連続です。どんな人でもは「あの時もっと〇〇しておけばよかった…」と思うことがあります。

今日のみことばを通して、神様から、「この地上での限りある時間をあなたはどのように使っていますか?」と問われているような気がしました。

どれだけ「これがベストだ!」と思って行動していたとしても、後悔がなくなることはないと思いますが、いつも神様からの知恵を求めて日々を過ごしていくなら、祝福と恵みもなくならないことを忘れてはいけないと思いました。

9月24日(月)

第1歴代誌27章1節~24節

今日は、「ダビデは二十歳以下の人々は数に入れなかった。主がイスラエルを天の星のようにふやそうと言われたからである。」という箇所が目に留まりました。

ダビデの行動や決定は、神様の言葉と約束を土台としていることがわかります。

私たちが神様から与えられている約束は、「そのままのあなたを愛しているよ。この愛は決して変わらないよ。」という素晴らしい約束です。

日々の生活でどんなに苦しいことがあったとしても、この約束が土台となっていくとき、乗り越えられる力が与えられることを受け取りたいと思いました。

9月17日(月)

第1歴代誌21章18節~22章1節

今日は、24節「いいえ、私はどうしても、十分な金額を払って買いたいのです。」という箇所が目に留まりました。

この箇所読んだ時に、イエス様の十字架の代価を思わされました。私たちは、滅びるしかないイスラエルの民のようでしたが、王の代価によって守られました。今、私がこうして救われたのは、一方的に無条件の愛を与えてくださったイエス様の十字架の代価のおかげです。自分が受け取った無条件の愛を、多くの人たちに流していくことができるように祈っていきたいです。

9月10日(月)

第1歴代誌18章1節~8節

今日は、6節「こうして主は、ダビデのいく先々で、彼に勝利を与えられた。」という箇所が目に留まりました。

今朝、次男が突っ張り棒で作ったレースカーテンを引っ張ってしまい、取れてしまいました。なんとか自分で直そうと頑張っていたのですが、次男の手の届かないところに突っ張り棒を設置し直さなければならないので、全然できませんでした。しばらくしたら「助けて」と言ってくると思ったら、自分でなんとかするんだ、自分だけでできる!と意地を張って助けを求めてきませんでした。結局、「助けてください。」と言ってくるまでかなり時間がかかりました。

ダビデの勝利の秘訣は、主がともにいてくださったことです。自分ひとりで頑張っていても解決はありません。日々の霊的戦いの中で、主により頼むことをないがしろにしていないか確認したいと思います。

9月3日(月)

第1歴代誌15章25節~29節

今日は、29節「サウルの娘ミカルは、窓から見下ろし、ダビデ王がとびはねて喜び踊っているのを見て、心の中で彼をさげすんだ。」という箇所が目に留まりました。

ミカルにとって、人前で喜び踊っている様子は馬鹿げていて、恥ずかしいことという思いがあったのかもしれません。それが、ミカルの中の常識でした。私たちが「自分の常識」というフィルターを通して人を見るとき、自分の義にそぐわない行動をする人をさげすんでしまいます。しかし、自分の価値観ではなく、聖書の価値観で隣人をみるなら、裁く心から、励まし合い、赦し合い、愛し合えるあ関係を築くことができるようになります。聖書の価値観が自分の価値観になることができるように、いつも主とつながっていきたいです!

8月27日(月) 

第1歴代誌12章1節~22節

今日は、22節「日に日に、人々がダビデを助けるため彼のもとに来て、ついに神の陣営のような大陣営となった。」という箇所が目に留まりました。

どれだけ素晴らしい偉業を遂げた人でも、最初は必ず小さなことからスタートして、たくさんの困難と忍耐を体験し、徐々に大きく成長しています。まるで宝くじに当たったようにいきなりドンとすごい働きができるわけではありません。

今日の箇所で「日に日に」とあるように、すぐには変化を見ることはできませんが、神様に忠実に従っていくことで、「ついには神の陣営のような大陣営」となっていくことができることを受け取りました!

小さなことに忠実な者となっていきたいです!

8月20日(月)

使徒の働き28章23節~31節

今日は、31節「大胆に、少しも妨げられることなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」が目に留まりました。

パウロの伝道の人生は迫害と妨げの連続でしたが、ローマでは「妨げられることなく」福音を語ることができました。

私たちの住む日本は伝道して拘束されることはありません。妨げれらることなく大胆に語ることができます!もちろん、福音を語って、全ての人がそれを受け入れることはありませんが(24節)、結果は神様に委ねて、大胆に神の国を伝え続ける者になっていきたいと思いました。

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